一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「別れる決心」(2022)

今年劇場公開されたなかで個人的に最も注目していたのが本作。韓国映画に触れる機会が少ない私にしては非常にレアなケースだが、車のリアシートに座る男女を写した宣伝用ポスターにおいて、すでに心は離れてしまったかに見えるふたりの手が微かに重なっている点に何かしらのメッセージが隠されている気がして、とても興味をそそられたのだ

ある男が単独で登った岩山の頂から転落して死んだ。事故かそれとも他殺か、捜査を任された刑事ヘジュンは、亡くなった男の妻ソレを容疑者として取り調べるが、その過程で彼女のミステリアスな魅力に強く心を奪われ、ソレもまたいつしかヘジュンの純粋な優しさに惹かれていく

刑事と容疑者の間に芽生える恋愛感情という展開自体に特別な目新しさはないが、演出方法が大変ユニークで面白い。例えば、ヘジュンがソレの部屋を見張る場面における、屋外から彼女の姿を追うショットと、室内から間近で行動を凝視するショットを繋げることでのテレポーテーション効果、ソレの口の動きと他者の声を重ねることでのリーインカーネイション効果など、随所に映像ならではのアプローチが窺える。また、スマートフォンあるいはスマートウォッチの音声翻訳アプリを利用しての会話(中国人のソレは韓国語が堪能ではない)なども現代的なリアルさを感じさせる

難点を言えば、原発、老人介護、不法入国、投資詐欺と色々な社会問題を盛り込んだのはいいが、どれもが中途半端な扱いで終わってしまったところか。それから、恐らく登山経験はないであろうソレが一切のサポートなく急峻な岩場をクライミングしてしまうのもいささか不自然に思う

転落死事件の真相を知ったうえでの自らの決断に対し「女に溺れ、捜査を見失い、自分は完全に崩壊した」と語るヘジュン。確かに彼は警察官としての正しい道は逸脱したかもしれないが、最後までソレを呼び捨てにせず「さん」づけで呼び、たった一度のキスだけでそれ以上先へは進もうとしなかった彼はやはり誇り高き男であったし、だからこそソレも本気でヘジュンを愛したのではないだろうか。ラストは切ないには違いないのだけれども、変にセンチメンタルに浸りすぎなくて、好感が持てる。当記事の最初で、ふたりの心が離れてしまったかに見えると書いたが、映画を鑑賞してわかった。彼らの絆は永遠なのだということに

「ラスト、コーション*1」、「ブラックハット*2」に出演した際よりもさらに艶やかさを増したタン・ウェイ。黒髪の似合うアジア的な美しさには、ヘジュンでなくたってクラクラしそうだ

劇中で挿入されるのがマーラーの交響曲第五番アダージェット。これからこの曲を聴くときは「ベニスに死す」と共に「別れる決心」のワンシーンを思い出すのかもしれない

  • "Decision to Leave" 138分 (韓)
  • 監督:パク・チャヌク
  • 脚本:パク・チャヌク、チョン・ソギョン
  • 撮影:キム・ジヨン
  • 出演:パク・ヘイル、タン・ウェイ、コ・ギョンピョ

(2023-60) 

*1:監督アン・リー、主演トニー・レオン 2007年

*2:監督マイケル・マン、主演クリス・ヘムズワース 2015年