一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「仁義」(1970)

原題の"Le cercle rouge"は異なる人生背景を持つ者同士が「紅い輪」の中で必然的に出会うという、ブッダの言葉に由来する。メルヴィルの書いた脚本は当然ながらこのタイトルに則っており、劇中で主人公がビリヤードキューの先端を拭いた際に紅い円が強調されるのもその主題を踏まえてのことだ。従って、まんま日本のヤクザ映画みたいな邦題には、たとえそれを意味する台詞がヤマ場で発せられるとは言えども大変な違和感を覚える

イマイチの邦題とは裏腹に映画自体はとても素晴らしい。アクションやカーチェイスに頼らない抑制された語り口はラストまで見応え十分で、さすがはメルヴィルと何度も唸らされた

冒頭で容疑者として警視に連行される男が逃走するのと、模範囚で仮出所をする主人公の様子とが二つ同時に進められていくシーンからすでに画面に釘付けだった。こっそりと手錠を外したG・M・ヴォロンテ扮する容疑者のヴォーゲルがてっきり警視と格闘するのかと思いきや、いきなり乗車中の列車の窓を蹴り割ってズラかるという展開はスピーディーで無駄がない。つくづくメルヴィルは物語の導入部を描くのが上手いなと感心させられる

アラン・ドロン演じる主人公コレーは「サムライ*1」の殺し屋と同様に革バンドの腕時計を文字盤が内側になるようにして右手にはめている。この時計の付け方に関しては、暗がりで文字盤が反射して相手に自分の位置を知られないようにするためとか、衝撃で時計が壊れるのを防ぐためといった理由があるらしいのだが、こんな小道具の扱いひとつ取っても裏社会で生きてきたコレーの過去をそれとなく窺わせる点は芸が細かい

堕落した元刑事で現在は酒浸りのアル中男ジャンセン役のイヴ・モンタンがいぶし銀の如き存在感を示す。コレー、ヴォーゲルと組んで宝石強奪を決行する過程で彼のなかにかつての緊張感が甦り、コレーに向かって報酬はアル中を克服し自分を取り戻したことだけで十分とする件はこれぞ男の美学と言っていいだろう

話の最後は警視の上役に当たる局長の「人は皆、罪人である」という彼の持論で締められるが、ブッダの言葉で始まってキリスト教的な観念で結ばれるという運びは何とも興味深い

  • "Le cercle rouge" 160分 (仏・伊合作)
  • 監督:ジャン=ピエール・メルヴィル
  • 脚本:ジャン=ピエール・メルヴィル
  • 撮影:アンリ・ドカエ
  • 出演:アラン・ドロン、イヴ・モンタン、ジャン・マリア・ヴォロンテ

(2022年5月に他サイトへ投稿した記事を部分的に加筆修正し再掲)

*1:ドロンが寡黙で孤独な殺し屋に扮したメルヴィルの代表作 1967年