一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「イタリア旅行」(1954)

本作を評しゴダールは「男と女と一台の車とカメラがあれば映画が出来る」 と語ったそうだ。従って、もしロッセリーニがこの「イタリア旅行」を撮っていなければ、ゴダールの「勝手にしやがれ」は作られていなかったかもしれず、またもし「勝手にしやがれ」が存在しなければ、その後に続く映画の歩みは全く別なものになっていたかもしれない。ゆえに「イタリア旅行」は、同じくロッセリーニの手掛けたネオレアリズモの傑作「無防備都市」と共に映画史において大変重要な役割を果たしたと言っていいだろう。ベルトルッチの監督した半自伝的作品「革命前夜」のなかで、主人公の親友でシネマ狂の男が「イタリア旅行」を15回観たと自慢げに話し、君はロッセリーニなしで生きられるかと(主人公に)問いかけていることからもわかるように、映画界に新しい波をもたらした作家たちにとってロッセリーニは神にも等しい人物だったに違いない

会社役員のアレックスは、亡くなった伯父が所有していた別荘を売却するため、妻のカトリーヌを伴い、はるばるロンドンからナポリまで車でやってきた。結婚して八年になる夫婦の間にはカトリーヌの意向もあって子供はおらず、それがふたりの関係に微妙な影響を及ぼしていた

揺れ動くカトリーヌの内面に迫った描写は、謂わば「感情のレアリズモ」であり、それは数年後にアントニオーニの四部作へと継承されていく。特に「夜」は、倦怠期の夫婦が主人公の点を含め、かなり「イタリア旅行」を意識していたように感じられる(余談ながら、ロッセリーニとアントニオーニは若い頃の一時期共同生活をしていた。アントニオーニはロッセリーニの印象深い作品に「戦火のかなた」と「神の道化師、フランチェスコ」を挙げている)

ロンドンとナポリがどれくらい離れているのかを検索してみた。約2千キロ(北海道の端から九州の端までと同距離)で、車だと高速を使っても20時間以上はかかるらしい。移動に飛行機ではなく車を選択したのは自身も運転が可能なカトリーヌだ。普通なら、ほとんど会話らしい会話もない気詰まりな相手と密室状態の車のなかで長時間一緒に過ごしたいとは思わないはずなのに、どうして?。どうやら彼女には夫との仲を修復したい気持ちがまだ残っていて、今回のナポリ行きをそのきっかけにしようと考えていることが次第にわかってくる

アレックスとは別行動のカトリーヌがひとり訪れた先で見るローマ時代の彫刻やカタコンベの骸骨、グツグツと燻る火山灰。これらは心情の間接的表現と捉えられ、この辺りにもアントニオーニとの共通性が窺える。ナポリの街中を運転するカトリーヌの目に留まるのがベビーカーを押す女の姿ばかりという描写からは、それまでの人生に対する彼女の「後悔」という偽りなき気持ちが読み取れる。特別なエピソードは皆無なので人によっては退屈な話かもしれないが、カトリーヌの繊細な気持ちをバーグマンがどう演じているかにフォーカスしていくと色々理解される部分は多い気がする

ひとつだけ苦言を呈すと、まるで安直なソープオペラの如きラストが余りにもいただけない。この場面には当時バーグマンとの結婚生活に暗雲が立ち込めていたロッセリーニ本人の切実な願望が込められているようにも思える。後進のフィルムメーカーたちにとっては神に匹敵する立場のロッセリーニもやはり人の子だった、ということか

(2023-52)