一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「マドモアゼル」(1966)

某映画評論家が自身の著作本のなかで、この作品を「トラウマになる映画」に挙げていたと聞くが、私はそういった類の解説書を滅多に読まないのでそこにどんなことが書かれていたのかは全く知らない

フランスの山間部に在る小さな村。イタリアから出稼ぎに来た木こりのマヌーは男振りが良く周囲の女たちをたちまち虜にしてしまう。彼には亡くなった妻との間にもうけたひとり息子のブルーノがいるが、その教師で「マドモアゼル」と呼ばれる独身女もマヌーの逞しさと野性味に魅力を感じていた。そんな折、村では放火や家畜の毒殺など不可解な事件が続けて起こり、余所者のマヌーに疑いの目が向けられる

閉鎖的なコミュニティにおける排他性については数々の映画で描かれており、本作もまたそれらに連なるひとつと言えよう。「都会では人間関係が希薄で温かみに欠ける」なんてことをしばしば耳にしたりもするが、横の緊密な繋がりにはメリットばかりではなく、こうした排他性を含む負の側面も併せ持っている点を考えるならば、たとえ「孤独死」などのリスクを抱えるにせよ、田舎暮らしよりは街で生活を送る方を望む人も多いのではなかろうか

仕事の合間に居眠りするマヌーの腋下に光る汗を木の陰から覗き見て思わず舌なめずりするマドモアゼル。この場面、下手なポルノが顔負けなほどにやたらとエロい。ここ半年くらいジャンヌ・モローの出演作を観る機会が割と多いのだが、つくづく演技の上手さを実感させられる。かのオーソン・ウェルズが彼女のことを絶賛したのもなるほど頷ける

本作にはいわゆるスコア(楽曲)は一切使われない。その代わりに鳥のさえずりや雷鳴の轟く音などが天然のBGMとして不穏な雰囲気を醸し出すのに抜群の効果を果たす。真に優れた映画は台詞と音楽に頼る必要がないのである

欲望と隣り合わせの、恐らくは誰の心にも潜むであろう邪悪で残酷な部分をダークトーンのモノクロで撮影した佳作だ

(2023-48)