一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「欲望という名の電車」(1951)

数日前、「欲望という名の電車」の新たな舞台公演が発表された

主役を任された沢尻エリカについて、私はかろうじて名前と顔が一致するくらいで、出演した映画やドラマの類は一切観ていない。従って彼女の俳優としての力量がどの程度なのかは全く見当もつかないのだが、これまでのキャリアを確認したところでは、新人賞などを授与されてもおり、それ相応の才能は持っていると考えて然るべき人物なのだろう。ただ、しばらくブランクが空いての復帰作、尚且つ初めて経験する舞台で演じるのが、よりによって難易度の極めて高いブランチ役とは随分思い切った選択をするな、というのが、このキャスティングにおける率直な受け取り方だ

まあ、憶測であれこれ御託を並べても仕方がなく、本来なら実際に自分の目で鑑賞するのが一番なのには違いないけども、残念ながら完成度が未知数のものに大枚を投じる余裕は、今の私にはない

けいこ不足を幕は待たない、と梅沢冨美男は「夢芝居」で歌っていたが、兎にも角にもエリカ嬢の健闘と公演の成功を外野席から祈っている

~ 昨年10月、他サイトへ書いた記事を部分的に加筆修正して以下に再掲します ~

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映画における最高の演技をひとつ挙げるならば私は迷わずに本作のマーロン・ブランドを選ぶ。彼がブロードウェイの舞台でも同じ役を演じていることを考えれば映画演劇史上最高と評しても決して言い過ぎではないだろう。それくらいに「欲望という名の電車」に見るブランドの存在感には圧倒される

テネシー・ウィリアムズの創造したスタンリー・コワルスキーという男はシェイクスピアが世に送り出した様々な登場人物たちに劣らず個性的で強烈なインパクトを放つ。全身がエネルギーで満ち溢れ、獣のごとき荒々しい生命力を発散するスタンリーを演じるに当たってブランドは、ゴッホの描いた履き古してボロボロになった革靴の絵画にインスピレーションを受け、キャラクターのなかに「都会に出てきた農民」のイメージを重ねていった

役柄の内面にフォーカスし、リアルな感情表現を追求するスタニスラフスキー式メソッドを用いたブランドの演技を「革新的」とするならば、一方のブランチ・デュボアに扮したヴィヴィアン・リーの演技はあるいは「古典的」と呼べるのかもしれない

若かりし頃に経験したトラウマから情緒不安定となり、身を寄せた妹の家で義弟のスタンリーからレイプされて完全に精神が崩れるブランチ役でリーは鬼気迫るような熱演を披露する。しかしながらブランドと比較するとその演技はあまりに大袈裟でいかにも演劇的に感じられてしまうのは否めない

しかし、この物語自体がポーランド系移民のブルーカラーながらもいずれは成功を収めて金や地位や名誉を掴み取りたいと欲する「新世代の庶民」スタンリーと、アメリカ南部に広大な土地を所有していた領主一族出身で「旧世代の上流」ブランチの対立を軸にしているのを思えば、ロックンロール的なブランドとクラシック的なリーのコラボレーションはこれ以上ないほどに絶妙の配役だったという気もする

原作者のウィリアムズは感受性豊かで繊細なものが粗野なものに破壊されることこそ本話の主題だと語っているが、同じ図式は例えば環境汚染や戦争、マイノリティへの差別など今なお世界中の至るところで繰り返し表面化しており、まさにその点に「欲望という名の電車」が時代を超えて人々の心を惹きつける理由があるのではなかろうか

  • "A Streetcar Named Desire" 122分 (米)
  • 監督:エリア・カザン
  • 脚本:テネシー・ウィリアムズ、オスカー・ソウル
  • 撮影:ハリー・ストラドリング
  • 出演:ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド、キム・ハンター