一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「左利きの女」(1977)

ヒロインの家には小津(安二郎)を写したポスターが飾られ、シングルマザーの彼女が小学生の息子と映画館で観るのもまた小津のモノクロフィルム。従って、恐らくこの作品自体が小津の強い影響下にあるものと思われるが、私自身は彼の映画を、何となく自分の好みとは違う気がして、ひとつも鑑賞したことがないので、一体どの部分に共通性が見出せるのかは皆目わからない

ただ漫然と日々が過ぎていく結婚生活に倦んでいた主婦マリアンヌは長期出張から戻った夫に突然別れを告げ、息子のステファンとふたりで暮らし始める。彼女は以前勤めていた出版社の依頼により自宅で小説を翻訳する仕事に取り掛かるが、寂しさを募らせたステファンが何かと邪魔ばかりして、なかなか思うように物事が運ばなかった

幾つかのヴィム・ヴェンダース作品で共同脚本を執筆したペーター・ハントケが自らの小説を演出。ジャンプカットの多用は場面転換における滑らかさに欠け、微妙にズレた間合いと共にどこか不器用な印象を与えるが、それが逆に撮影を担ったロビー・ミューラーのザラついた色遣いと相まってヴィンテージ風のいい雰囲気を醸し出しているのだから不思議。また、ストーリーの方も特別なエピソードなど起こらず、マリアンヌの生き方と同様に終始淡々と進行していくのだが、最後まで全く飽きさせない。あるいは、ここら辺りが「小津」的だったりするのだろうか

タイトル「左利きの女」(原題も同じ)の意味するところが不明だ。劇中、マリアンヌはノコギリの類を右手で扱っていたし、そこに政治的なニュアンスが含まれるとも考えにくい。もしかして、既定路線を外れて新たな一歩を踏み出したマリアンヌの生きる姿勢を左利きに例えたのか?ちょっと気になる

マリアンヌが移り変わりの早さを表現するのに、フォークナー作「八月の光」の結びの一文『アラバマを出てまだふた月なのに、もうテネシーだなんて*1』を引用していた。映画監督や作家にはフォークナーを敬愛する人物は多いが、きっとハントケもそのひとりに違いない

  • "Die linkshändige Frau" 119分 (西独)
  • 監督:ぺーター・ハントケ
  • 脚本:ペーター・ハントケ
  • 撮影:ロビー・ミューラー
  • 出演:エディット・クレヴァー、ブルーノ・ガンツ、ベルンハルト・ビッキ

(2023-58)

*1:黒原敏行訳、光文社古典新訳文庫より。「左利きの女」の設定も春のふた月のこと