一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「リトル・チルドレン」(2006)

原題をそのままカタカナ読みにしたタイトルの直訳は「幼児」となるが、本作の内容からすると、そこには「ピーターパン症候群」「アダルト・チルドレン」と同様に、大人になりきれぬ大人のニュアンスが含まれているのだろう

ストーリーは、生活にゆとりのある層が暮らす郊外の閑静な住宅街を舞台に、満たされない思いを抱えて生きる男女四人の姿をブラックに描いたものだ。監督のトッド・フィールドは最新作「TAR」が話題を呼んでいたが、この映画に限って言えば、登場人物の背景や全体の構成などにウディ・アレンとの共通性を感じさせた(ただし、表現はこちらの方がかなり過激)

英文学専攻で大学院を卒業したものの、今はただ、周囲のママ友たちとの退屈な付き合いにウンザリしつつ、毎日が子育てに追われるばかりのサラ。法律家になるというかつての熱意はあとかたもなく消え失せ、ドキュメンタリー製作に携わる妻の収入を頼りに、主夫の立場に甘んじるブラッド。子供に対する性犯罪の刑期を終えて自宅に戻ってはみたが、住民からの猛烈な反対に遭うロニー。少年の命を誤射で奪った過去が精神的に影響し警察官を辞めざるをえなかったラリー。何かを変えたい、でも変えられない。そんな彼らに果たして新たな道は開けるのか

妻あるいは母親からの過干渉に唯々諾々と従っているだけのブラッドとロニー。ロニーの存在が危険をもたらすとして彼に露骨な嫌がらせを繰り返すことで地域における自らの必要価値をアピールしようとするラリー。彼らの思考や行動はまさに「リトル・チルドレン」そのものである。割とリベラルな考えの持ち主で、意見をハッキリ述べるサラは他の三人と比較すれば成熟していると思うが、そんな彼女にしても欲求に抗えず、娘そっちのけでブラッドとの逢瀬に身を焦がしてしまうわけなので、これも見方によっては幼児的と捉えられるかもしれない(※劇中、読書会でサラが「ボヴァリー夫人」に言及する場面が出てくる。彼女の不倫もあの小説の主人公と同じく「夫」「家庭」という保守概念への反発と受け取れば、ボヴァリー夫人フェミニスト=サラの極めてアダルトな図式が一方で成り立つことも付け加えておく)

終盤、ブラッドはある重大な決断を彼の意思で下し、サラもそれに従おうとする。そしてロニーもまた、ラリーによってもたらされた悲劇がきっかけで、大変ショッキングな行為によって自らを戒める。四人のその後がどうなったかはわからないが、それぞれの心境に多少なりとも変化の兆しが窺えそうな、そんな若干の期待を抱かせるラストとなっている。もっと突き放したエンディングもありな気はするが、そこはプロデューサーの意向なども関係してきそうだ

最後に余談となるが、夏の平日昼下がりを市民プールでほぼ毎日一緒に過ごすサラとブラッド。たとえ子供が一緒とは言っても、もし現実の世界であれをやったら、瞬く間に双方の家庭へ火の粉が降りかかるのはまず間違いない

(2023-50)