一筆☆啓上

観た映画、読んだ小説の印象を綴ります

映画「タクシードライバー」(1976)

デ・ニーロもアル・パチーノも歳を取るほどに演技が過剰になるのを見るにつけ、やっぱり彼らが一番輝いていたのは70年代だったよなぁ、と何気に思う今日このごろ。振り返ってみればデ・ニーロは「アンタッチャブル」パチーノは「スカーフェイス」、このデ・パルマの大作への出演を契機に、二人は歌舞伎で見得を切るがごとき「オーバーアクションの道」へ足を踏み入れていった気がする

ポール・シュレイダーの書いた「タクシードライバー」の脚本はそのデ・パルマ経由でスコセッシの元に回ってきたという。当時ドストエフスキーの小説「地下室の手記」映画化を検討していたスコセッシに対し、これは君が撮るべきものだ、とデ・パルマスクリプトを渡したそうだ。これまで私は「タクシードライバー」のストーリーは「地下室の手記」にインスパイアされたと考えていたのだが、どうやら内容が似ていたのは偶然のことだったようだ

もっともブレッソンの「スリ」、ルイ・マルの「鬼火」、ベルトルッチの「暗殺の森」など、『孤独』をテーマとした映画にはどこか共通する部分があるので、これらにドストエフスキーの作品との類似性が認められても何ら不思議はないわけだが

本作を初めて観たのはいつだったろうか。中学生の頃、荻昌弘が解説をしていた「月曜ロードショー」の枠で、炬燵に包まりながらだった記憶がおぼろげにある。その後、ビデオとDVDを購入し、劇中におけるデ・ニーロの有名な台詞「俺に言ってるのか」の場面は鏡の前で真似たクチなので、私にとって思い入れを持つ映画なのは間違いない

今回久々に鑑賞して新たに気づいたのは、自分こそが悪のはびこる汚れた街を正す騎士と考えた主人公トラヴィスが独善的な使命感に駆られ行動を起こす様子は、南ヴェトナムの共産化を阻止する「大義」のもとにそこへ介入していったアメリカの姿と重なる点だった。海兵隊の一員としてヴェトナムへ赴き、恐らくはPTSDを発症している可能性が高いトラヴィスの歪んた思想の根底にもこの戦争の影響が色濃く、様々な意味で製作時の世相が反映された映画と言えるのではなかろうか

演出、脚本、撮影、音楽、編集、特殊効果その他、関わった多くのフィルムメーカーたちの才気に溢れた作品であることを今まで以上に実感。特に「タクシードライバー」を象徴するトラヴィスの精巧なモヒカンを作ったディック・スミスの職人芸は「神業」レベルだ

ラヴィスがポルノ映画館の売店で買おうとした「ジュジュ」なる菓子を一度食べてみたいものだが、外資系のスーパーなら陳列されているのだろうか。ちょっと気になるところである

(2022年1月に他サイトへ投稿した記事を部分的に加筆修正し再掲)